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戦略立案は自社の環境分析が第一歩

建武元年1月29日(1334年3月5日)、元号が元弘から建武へと改元されました。建武と

いう言葉から思い出されるのは、後醍醐天皇による建武の新政です。1333年に鎌倉幕府

は滅亡しました。後醍醐天皇は、武士に代わり新たに天皇中心の政治を始めました。それ

が建武の新政です。ただし、この政治は長くは続かずに3年で終わってしまいました。

 

建武の新政の失敗要因としては、実質的実力者、土地の支配者である武士を無視した政

策を実施したことだと言われています。つまり、実力よりも権威を優先して治めようと

したことが失敗の大きな原因だということです。

 

武家政権から天皇中心の中央政権に移行した例はもう一つあります。明治維新です。

 

建武の新政と明治維新はともに武士による政治体制から天皇中心による政治体制への移

行を狙ったものでした。しかし、その内容は大きく違います。その違いは、自分たちを

取り巻く環境を正しく認識していたかどうかということです。

 

建武の新政の後醍醐天皇は、500年も昔の天皇中心の政治体制に単純に戻し、天皇の権威、

権力を単純に復活させようとしたものでした。それは、平安時代の貴族政治から鎌倉時代

の武家政権がなぜ成立したのかという時代変化、環境変化を完全に無視した取り組みでし

た。

 

一方、明治維新は、薩長雄藩の下級武士たちがリーダーシップを取り、当時日本にとって

脅威となっていた欧米列強の文化、技術レベルに追いつくというビジョンを掲げての取り

組みでした。すなわち、当時の日本が置かれている環境を分析し、その中で欧米に勝つた

めに何をどうすべきかという戦略に基づいた活動だったということが言えます。

 

企業においても、戦略立案は重要です。その第一歩は、自社を取り巻く環境分析とそれを

踏まえた上でのビジョン、目標設定となります。

 

建武の新政が失敗したのは、その環境分析をせずに、単純に自分の希望となる状態のみを目

指して実行したことだと言えます。