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自社の部門間の壁を除去するためのマネジメント

1936年(昭和11年)2月26日に陸軍皇道派の青年将校役1500人がクーデターを起

こしました。当時の岡田啓介首相邸、高橋是清大蔵大臣邸、鈴木貫太郎侍従長邸

などを襲撃しました。

 

彼らの動機は、同時の世界恐慌の中で長引く日本の不況とそれによる貧窮する農村

の原因が天皇の側で権力を行使する政治家と特権階級の一部企業家の癒着にあると

考えました。そして、いわゆる君側の奸の彼らを力で排除し天皇親政の下に権力を

一元化する国家の形をつくろうとしました。

 

天皇陛下のために、国のために良かれと思い、昭和維新を実現させようとしたのです

が、天皇陛下ご自身が決起した彼らを逆賊として討伐することを指示され、決起した

兵士たちも軍部からの帰順の呼びかけに応じ、3日後には事件は終息しました。

 

この事件以降、陸軍内での皇道派の勢力は弱まり、統制派の勢いが強くなるとともに、

軍部の声が大きくなっていきました。軍部を怒らせると何をされるか分からない、と

政治家が考えるようになったためです。

 

軍部が台頭してくるまでは、日本では政友会と民政党が交互に政権を担っていくという

2大政党制が機能していました。しかし、その中身はとみると互いに相手の揚げ足を取っ

たり、反対のための反対をするような政策よりも政局を優先していました。

この国のゴールを共有すべきところを枝葉末節な部分をつつき合っているうちに、国民

を置き去りにし、訳の分からぬ軍部につけ入る隙を与えてしまったということでしょう。

 

立場が違えば、掲げるゴールも違ってくることはあります。しかし、立場の違いは見て

いる視野の狭さからくるものであり、視野を広げれば共有できる部分も出てくるはず

です。

 

営業部門と製造部門間でコストや納期、品質面でもめごとが起こることも互いの立場か

らのみのゴールしか見ていないからということがあります。視野を広げれば自社の顧客

満足度の向上と利益拡大のために互いにどのように協力しあえるかという議論ができる

はずです。

 


管理者であれば、自部門の成果を追求することは当然必要ですが、会社全体の成果を共

通ゴールとして捉えた上で、他部門の管理者と互いの相互貢献のあり方を共有するよう

な場も定期的に持っておく必要があると思います。そして経営陣はそのようなことがで

きるような組織風土つくりのための施策、制度設計、教育をどのようにするべきかを考

え続けることが必要です。