働き方改革で目指すべき雇用流動化

天正10年6月2日(1582年6月21日)未明、織田信長が家臣の明智光秀の謀反により自刃

に追い込まれました。有名な本能寺の変です。

 


天下統一という最終ゴールに到達することはできなかったとはいえ、結果としては豊臣

秀吉の天下統一の道筋をつくったということでは大きな業績を果たしたといえます。

 


信長の成長要因の一つとしてあげられるのが、人材登用手法だと思います。

 


家柄や出自にとらわれずに、有能だと思えば積極的に採用する考え方です。その代表例が

豊臣秀吉であり、明智光秀でした。

 


逆に、いくら過去の経歴が良くても働きが悪くなれば容赦なく切り捨てるという側面もあり

ました。その例が信長の家臣として仕えてきた挙句に追放された林秀貞、佐久間信盛と言え

ます。追放の理由としては、信長の誤解や他者からの讒言などとも言われていますが、ここ

で重要なことは信長が彼らを必要としなくなった、役に立たないと思ったことによる追放だ

ということです。

 


最近、働かない40代、50代のおじさんという話題を見聞きします。20代、30代のときはそれ

なりに働いて会社に貢献していた人たちが、年を経るにつれて仕事をしなくなる一方で、報

酬は人並み以上にもらっているという方々のことです。

 


若手にこれまでの自分の役割をゆずり、自分は別の役割を担うというのであれば良いですが、

若手に仕事を任せて自分は単に楽をするのでは周囲に示しがつきません。百歩ゆずって、これ

までがんばってきたのだからこれからは若手にがんばってもらい、自分はそのサポート役に徹

するという考え方を容認したとしても、それならそれなりに低い給与になることを受け入れる

必要があると思います。

 


日本の企業は、社員を辞めさせることがしにくいと言われています。別の見方をすると、社員

に優しい、雇用が守られている環境だとも言えます。

 


しかし、そのような環境が企業の生産性を低くしたり、本来、正社員がやるべきことを正社員よ

り安い時給の派遣社員が対応していたりといったひずみを生じさせているとも言えます。

 

従業員を不当な処遇から守るということも重要ですが、会社の期待に応えられなくなった社員

は、他に必要とされているところに移り、そこの期待に応えることでその会社に貢献する、ひ

いては社会に貢献するということができるようになる制度や仕組をつくることも重要だと思います。

 


働き方改革の中ではそのような検討もしておく必要があると思います。