内発的動機付けと外発的動機付け

建武3年11月7日(1336年12月10日)、楠木正成を倒し、後醍醐天皇から強引に光明天皇

を即位(北朝)させた足利尊氏は建武式目を制定しました。これは、足利幕府の施政方

針のようなもので、足利幕府が鎌倉幕府の正統な後継者であること、地方行政官である

守護職は戦功よりも能力により任命されることなどを提示しています。この制定をもっ

て室町幕府の始まりとされています。

 


足利尊氏は武力には優れていましたが、政治的なやり取りは苦手だったようです。その苦

手な政治に関しては主に弟の直義に任せていました。

また、気前の良いリーダーだったようで、部下に対して褒美や領地などをドンドンあげ

たようです。それが室町幕府弱体化の原因の一つであるとも言われています。

 


リーダーとしては、最初は鎌倉幕府の大将として幕府への反乱軍である楠木正成を討伐

し、その後、反乱軍の親玉である後醍醐天皇側について討幕軍を率いて鎌倉幕府を滅亡

させ、後醍醐天皇による建武の新政をサポートしたかたと思うとまたまた後醍醐天皇に

よる政治に不満を持つ武士団をまとめて後醍醐天皇を京都から追いやり、光明天皇を即

位させ、後醍醐天皇と対立することで南北朝の動乱の幕を開けてしまいました。その後

も、自分の部下と争ったり、弟と争ったりとやることはブレブレでした。その中で多く

の領地を与えることにより守護大名を統率せざるを得なかったのだと思います。ニンジ

ンを目の前にぶら下げることにより守護大名を統率したということです。

 


人の動機付けには、内発的動機付けと外発的動機付けの2つがあります。上述の報酬や

ニンジンによる動機づけは外発的動機付けとなります。外発的動機付けは、他人から何

か報酬やご褒美がもらえている間は、気持ちよく動きますが、それが途絶えてしまうと

途端にやる気が起こらなくなってしまうものです。逆に内発的動機付けは、動く人本人

の心の中から発生する想いや目標に基づいたものですので、他人が何と言おうと自分の

想いに従ってやり続けることができます。

 

 

したがって、部下を動機づけしようと思った場合は、外発的動機付けにより刺激を与える

ことも必要ですが、内発的動機付けをたき付けるようなアプローチがより重要となります。

 


そのためには、日ごろから部下の想いや、目指したいこと、成し遂げたいことなどに耳を

傾け、理解し、それと組織目標が沿っているように見せてあげることが必要となります。

 


一方的な指示や、命令では本当の意味で人は動きません。真のリーダーシップを発揮する

ためには、進むべき方向を示すだけでなく、ついてきてもらいたい人たちの想いと進む

べき方向をつなげる作業が必要となります。それができていないと、後ろを振り返った時

に誰もいなかったということになるかもしれません。