根回し · 2018/08/08
安政5年8月8日に孝明天皇が下賜された戊午の密勅がその後の大老井伊直弼による安政の大獄を引き起こしました。 その密勅では、勅許なく日米修好通商条約を締結したことに対する幕府への叱責と諸藩と連携しての攘夷実行を命じているのですが、本当にそれを実現させたいと考えるのであれば、もう少し上手な段取りを組むことができたのではないかと思います。特に、それが攘夷推進派の思惑によるものであったのであれば。
現場の声を聴く · 2018/08/02
享保6年8月2日(1721年9月23日)、第8代将軍徳川吉宗の命により評定所前に目安箱が設置されました。 広く市民からの意見を聴き、幕府の政策に反映させるためです。組織を動かしたり、改革したりするときには、トップの方針を下位層に伝えることも重要ですが、現場の声を確認し、現状を理解することも重要なプロセスとなります。
根回し · 2018/07/25
7月25日は上杉征伐に向かっていた徳川家康が石田三成挙兵への対応方法を引き連れてきた諸将を小山にて招集し軍議を開いた日です。 小山評定には今に伝えられるエピソードがたくさんあります。その真偽はともかくとして、そこでのポイントはいかに根回しが重要かということです。
戦略思考 · 2018/07/17
慶応4年7月17日(1868年9月3日)、明治天皇の詔勅により江戸が東京(とうけい)と改称されました。 王政復古の大号令により天皇を中心とした政治体制とし、これまでとは全く違った世の中にしていくことを庶民に知らしめる手段として、都を移すことが検討されました。 当初は、大阪(大坂)が新しい都の候補地として挙げられていました。海外との往来 が増えていくことを考えると、内陸にある京都よりも大阪湾に近い大阪が適している と考えたようです。 大阪への遷都に対して、薩摩藩で蘭学教師をしていた前島密は江戸遷都論という建白書を大久保利通に提出しました。前島密が言うには、すでに大阪は商業の都市として繁栄しているが、今でこそ世界的にみても大都市となっている江戸は、帝都としての機能がなくなれば人は離れていき、廃れてしまうだろうとのことでした。 また、東京は大阪に比べて土地も広く、各省庁を設置するにしても旧大名屋敷を活用することができるため、無駄が生じないということも東京を推す理由になっていました。
会議体系の見直し · 2018/07/05
天正18年7月5日、北条氏直が豊臣秀吉に降伏を申し入れて小田原城を開城しました。 小田原評定ということばがあります。時間をかけて会議をするが、結論がなかなか出ない会議という意味合いです。本当のところは、小田原城内での表情は常に籠城抗戦と決まっていたようですし、降伏の意思決定時もあーでもない、こーでもないとはなっていなかったと言われています。 ともあれ、現代の会社組織においても会議はたくさん開かれており、その中には必ずしも意味のあるものばかりとはいえないものもあるということも事実です。当初は目的をもって開催するようにしていた会議も状況が変わるにつれてその意味が無くなるケースもあります。したがって、むだな会議を減らすためには、定期的に会議体系の見直しをする必要があります。
中期経営計画 · 2018/06/28
天保8年6月28日、浦賀沖に現れたアメリカ商船のモリソン号が幕府の異国船打払令により砲撃を受けて引き返すという事件が起きました。 その16年後にはペリー率いるいわゆる黒船が日本に開国を要求するために来航しました。 1800年代に入ってから諸外国が日本近海に出没するようになり、開国要求をしてきている中で江戸幕府は無視をし続けました。 自分たちを取り巻く環境が確実に変わりつつあることを見ないようにしてきたということです。 企業においては、環境変化に対していかに対応していくことができるかが重要となります。その指針を明示したものが中期経営計画となります。 環境変化を無視したままで自分の良いように事業計画を描くのでは、その意味はまったくなくなります。
根回し · 2018/06/19
安政5年6月19日(1858年7月29日)、徳川幕府はアメリカとの日米修好通商条約に調印しました。この調印は、孝明天皇の勅許を得ないままの調印ということで大きな 問題となります。 元々、国の政に関しては朝廷に介入させることなく、徳川幕府が取り仕切るということがそもそもの方針であったはずです。 それがここにきて、朝廷にお伺いを立てるということをしてしまったことが問題を大きくしてしまいました。また、お伺いを立てるのであれば、立てるで事前の根回しを十分にしておく必要がありました。 根回しの結果、幕府にとって好ましくない結論になりそうであれば、朝廷へのお伺いなど立てない方が良いという結論にしても良かったのです。 組織の中で方針等を決める際には、誰にどのような根まわしをすると狙った通りの結果が得られるのかを考え、設計しておく必要があります。それがないまま、行き当たりばったりで行動してしまうとこちらの意図することと逆の結果を得ることになってしまいます。
1920年(大正9年)6月10日、当時の東京天文台(現在の国立天文台)と文科省内に設置された生活改善同盟が6月10日を時の記念日と制定しました。時間の大切さや欧米並みの生活水準の実現と合理化促進を日本国民に呼びかけることを目的として制定したようです。 働き方改革でも重要視されているのは、働く人の時間の使い方です。しかし、多くの人のそれを見てみますと、それほど時間を重要視しているようには見えません。タイムマネジメントを徹底しているようには見えないのです。 本当に働き方を変えようと思うのであれば、まず最初にタイムマネジメントのスキル、その改善に取り組む必要があると思います。
雇用流動化の促進 · 2018/06/02
天正10年6月2日(1582年6月21日)未明、織田信長が家臣の明智光秀の謀反により自刃 に追い込まれました。有名な本能寺の変です。 天下統一という最終ゴールに到達することはできなかったとはいえ、結果としては豊臣 秀吉の天下統一の道筋をつくったということでは大きな業績を果たしたといえます。...
南北朝時代の建武3年(1336年)5月25日、湊川の戦いにて敗れた楠木正成が弟の楠木正李 と刺し違えて自害しました。 楠木正成は南朝の後醍醐天皇に仕え、鎌倉幕府、足利尊氏が仕える北朝と最期まで戦い抜 き、死んでいきました。後醍醐天皇への忠義ぶりから江戸時代の水戸藩における尊王思想 では、日本一の忠臣として尊敬されるようになりました。...

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