仕事術 · 2018/09/19
新規事業の探索や新商品の企画などビジネスには新たな発想やアイデアが求められます。新たな発想やアイデアが組織の生産性を飛躍させることにつながることも多々あります。しかし、新たな発想やアイデアは何もないところからは生まれません。何かしらの情報、知見があり、それに別の情報、知見が組み合わさることから何を想像することができるかということから生まれます。すなわち、アイデアが浮かばない、という状況は組み合せるべき情報や知見が不足しているということになります。それであれば、そのための情報をかき集めることが重要となります。そして、集めた情報と情報、自分の知見の組み合わせパターンから派生するものを輩出していきます。それでもまだアイデアが出ない、ということであれば、それは輩出するための組み合わせがまだ不十分か、それらの組み合わせから想像するものがまだまだ足りていないかということになります。
組織をつくり、運用していくためには様々な制度やルールを設定する必要があります。それにより、組織を構成するメンバーの行動基準、思考基準を合わせていきます。それが無い組織は、各人がバラバラな動きをし、統一感が無くなってしまいます。しかし、そのような狙いを持った各種制度、ルールも時間が経つと形骸化します。また、当初の狙いとは違う影響を組織に与えてしまっていることもあります。それを防ぐためには、仕事を通したものごとの捉え方、考え方を適切なものにしていくような組織風土づくりが重要となります。
組織マネジメント · 2018/08/21
文久2年8月21日、生麦事件が起こりました。薩摩藩の大名行列にイギリス人が迷い込んでしまったことによる事件であり事故でもあります。 イギリス人からすれば日本はなんと野蛮な国なのだろう、と思うことでしょう。しかし、薩摩側からすれば、大名行列を乱すとはなんと無礼な奴らだ、ということになります。立場の違いで同じ事象でも捉え方は変わります。仕事をしていく上でも同様のことが言えます。その中で合意を取っていくためには、相手の立場を理解し、なぜ相手はそのような発言をするのか、どのような想いでいるのか、を理解することが大切となります。
仕事術 · 2018/08/17
治承4年8月17日(1180年9月8日)、後白河法皇の皇子である以仁王の平家追討の令旨を受けた源頼朝が挙兵し、その命令を受けた北条時政らが伊豆国目代、山木兼隆の屋敷を襲い、討ち取りました。源平合戦の始まりです。しかし、その捉え方は適切なものとはいえません。両陣営の状態、そこに至るまでの経緯などを俯瞰して見た時に初めてその合戦の本質を理解することができます。形式的な括り方、捉え方だけではものごとの本質を見誤ることもあります。会社をマネジメントする中でもそのような見誤り方をしないように意識しておく必要があります。
仕事術 · 2018/08/08
安政5年8月8日に孝明天皇が下賜された戊午の密勅がその後の大老井伊直弼による安政の大獄を引き起こしました。 その密勅では、勅許なく日米修好通商条約を締結したことに対する幕府への叱責と諸藩と連携しての攘夷実行を命じているのですが、本当にそれを実現させたいと考えるのであれば、もう少し上手な段取りを組むことができたのではないかと思います。特に、それが攘夷推進派の思惑によるものであったのであれば。
組織マネジメント · 2018/08/02
享保6年8月2日(1721年9月23日)、第8代将軍徳川吉宗の命により評定所前に目安箱が設置されました。 広く市民からの意見を聴き、幕府の政策に反映させるためです。組織を動かしたり、改革したりするときには、トップの方針を下位層に伝えることも重要ですが、現場の声を確認し、現状を理解することも重要なプロセスとなります。
仕事術 · 2018/07/25
7月25日は上杉征伐に向かっていた徳川家康が石田三成挙兵への対応方法を引き連れてきた諸将を小山にて招集し軍議を開いた日です。 小山評定には今に伝えられるエピソードがたくさんあります。その真偽はともかくとして、そこでのポイントはいかに根回しが重要かということです。
中期経営計画 · 2018/07/17
慶応4年7月17日(1868年9月3日)、明治天皇の詔勅により江戸が東京(とうけい)と改称されました。 王政復古の大号令により天皇を中心とした政治体制とし、これまでとは全く違った世の中にしていくことを庶民に知らしめる手段として、都を移すことが検討されました。 当初は、大阪(大坂)が新しい都の候補地として挙げられていました。海外との往来 が増えていくことを考えると、内陸にある京都よりも大阪湾に近い大阪が適している と考えたようです。 大阪への遷都に対して、薩摩藩で蘭学教師をしていた前島密は江戸遷都論という建白書を大久保利通に提出しました。前島密が言うには、すでに大阪は商業の都市として繁栄しているが、今でこそ世界的にみても大都市となっている江戸は、帝都としての機能がなくなれば人は離れていき、廃れてしまうだろうとのことでした。 また、東京は大阪に比べて土地も広く、各省庁を設置するにしても旧大名屋敷を活用することができるため、無駄が生じないということも東京を推す理由になっていました。
天正18年7月5日、北条氏直が豊臣秀吉に降伏を申し入れて小田原城を開城しました。 小田原評定ということばがあります。時間をかけて会議をするが、結論がなかなか出ない会議という意味合いです。本当のところは、小田原城内での表情は常に籠城抗戦と決まっていたようですし、降伏の意思決定時もあーでもない、こーでもないとはなっていなかったと言われています。 ともあれ、現代の会社組織においても会議はたくさん開かれており、その中には必ずしも意味のあるものばかりとはいえないものもあるということも事実です。当初は目的をもって開催するようにしていた会議も状況が変わるにつれてその意味が無くなるケースもあります。したがって、むだな会議を減らすためには、定期的に会議体系の見直しをする必要があります。
中期経営計画 · 2018/06/28
天保8年6月28日、浦賀沖に現れたアメリカ商船のモリソン号が幕府の異国船打払令により砲撃を受けて引き返すという事件が起きました。 その16年後にはペリー率いるいわゆる黒船が日本に開国を要求するために来航しました。 1800年代に入ってから諸外国が日本近海に出没するようになり、開国要求をしてきている中で江戸幕府は無視をし続けました。 自分たちを取り巻く環境が確実に変わりつつあることを見ないようにしてきたということです。 企業においては、環境変化に対していかに対応していくことができるかが重要となります。その指針を明示したものが中期経営計画となります。 環境変化を無視したままで自分の良いように事業計画を描くのでは、その意味はまったくなくなります。

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