組織マネジメント

組織マネジメント · 2018/11/07
リーダーシップを発揮するためには、一方的に進むべき方向性のみを提示していれば良いということではありません。重要なのはいかにフォロワーを作るかということです。そのためには、フォロワーとなる部下への動機付けも意識しておく必要があります。動機づけには、内発的動機付けと外発的動機付けがあります。外発的動機付けばかりに注力してしまうと形式的なフォロワーばかりになってしまいます。そうならないためには、いかに内発的動機付けに働きかけるかが重要となります。
組織マネジメント · 2018/10/25
リーダーはポジションの一つである。カリスマ性がないとリーダーにはなれない、リーダーシップが発揮できてないという人がいる。しかし、リーダーシップとはカリスマ性がなくても発揮できるものである。また、リーダーではないからリーダーシップを発揮する必要はない、ということにもならない。一人ひとりがリーダーシップを発揮することによりその組織は強くなる。リーダーシップを発揮するための5つの要素を具体的な行動に落とし込んでいくようにすることが組織力を高めていくことにつながる。
組織マネジメント · 2018/08/21
文久2年8月21日、生麦事件が起こりました。薩摩藩の大名行列にイギリス人が迷い込んでしまったことによる事件であり事故でもあります。 イギリス人からすれば日本はなんと野蛮な国なのだろう、と思うことでしょう。しかし、薩摩側からすれば、大名行列を乱すとはなんと無礼な奴らだ、ということになります。立場の違いで同じ事象でも捉え方は変わります。仕事をしていく上でも同様のことが言えます。その中で合意を取っていくためには、相手の立場を理解し、なぜ相手はそのような発言をするのか、どのような想いでいるのか、を理解することが大切となります。
組織マネジメント · 2018/08/02
享保6年8月2日(1721年9月23日)、第8代将軍徳川吉宗の命により評定所前に目安箱が設置されました。 広く市民からの意見を聴き、幕府の政策に反映させるためです。組織を動かしたり、改革したりするときには、トップの方針を下位層に伝えることも重要ですが、現場の声を確認し、現状を理解することも重要なプロセスとなります。
組織マネジメント · 2018/06/02
天正10年6月2日(1582年6月21日)未明、織田信長が家臣の明智光秀の謀反により自刃 に追い込まれました。有名な本能寺の変です。 天下統一という最終ゴールに到達することはできなかったとはいえ、結果としては豊臣 秀吉の天下統一の道筋をつくったということでは大きな業績を果たしたといえます。...
組織マネジメント · 2018/05/25
南北朝時代の建武3年(1336年)5月25日、湊川の戦いにて敗れた楠木正成が弟の楠木正李 と刺し違えて自害しました。 楠木正成は南朝の後醍醐天皇に仕え、鎌倉幕府、足利尊氏が仕える北朝と最期まで戦い抜 き、死んでいきました。後醍醐天皇への忠義ぶりから江戸時代の水戸藩における尊王思想 では、日本一の忠臣として尊敬されるようになりました。...
組織マネジメント · 2018/05/14
大久保利通は、明治維新を完成させるには30年の年月が必要だと考えていました。 最初の10年は国の基盤づくりに注力する時期、次の10年が内政を整え、国内の民間産業を育成する時期、最後の10年を後継者への引継ぎ時期として捉えていました。 いわば、最初の10年が創業期、次の10年が社内体制の構築、人材育成と事業の成長期、最後の10年が事業の継承および第二の創業期と捉えることができます。 大久保利通のこのような長期ビジョンに基づく施策を理解できていなかった人たちがその専横を非難していたと言えます。 真の大久保利通を理解していなかったということは、大久保利通を襲撃した不平士族がその理由の一つにあげていた彼の政治の専横と私腹を肥やしているということが事実でなかったことからも分かります。 むしろ、大久保利通は公共事業などにも私財を投じており、死後に判明したことは彼が残したのは財産ではなく、借金8千円(現在の価値で1億6千万円ほど)だったとのことです。 薩摩人は無口な人が多く、自分が何を考えているかを口にすることがないと言われていました。
組織マネジメント · 2018/04/30
文治5年閏4月30日(1189年)、藤原泰衡の軍勢が衣川館にいた源義経を襲い、自 害に追い込みました。源義経を捕縛するように命令を下したのは義経の兄であり、 鎌倉幕府の征夷大将軍であった源頼朝です。 なぜ頼朝は義経の追討を命じたのか。それは頼朝が作ろうと描いていた新しい秩 序や社会を義経が理解していなかった、理解しようとしていなかったからです。...
組織マネジメント · 2018/04/25
慶応4年(1868年)4月25日、現在の流山市にて投降した近藤勇が斬首されました。 ご存知の通り近藤勇は新選組の局長です。 ちなみに1792年の4月25日には、フランス国民議会でギロチンが正式な処刑道具と して採用されました。 新選組は局長の近藤勇や副長の土方歳三が農家の三男坊、末っ子であったように...
組織マネジメント · 2018/04/19
寛政12年(1800年)旧暦閏4月19日、伊能忠敬が蝦夷地の測量に出発しました。 伊能忠敬は、日本最初の実測図「大日本沿海輿地全図」を完成させた測量家です。 彼は、千葉県佐原で酒造業を営んでいた伊能家の養子となり、49歳で隠居した後 に江戸に出て50歳で31歳の高橋至時に弟子入りし、天文学を学び始めました。...

さらに表示する